こんにちは。
改めてですけど、インターネットって滅茶苦茶便利ですよね!
というのも先日、スマホをぶっ壊してしまい4日間くらい外でネットを使えなくなりまして、スマホがない不便さとある便利さを再確認しました笑
これじゃスマホ便利だよねって話じゃねーか、って思われそうですけど、スマホの用途的には電話にメール、LINEとかTwitterみたいなSNSにソシャゲとか僕の場合はブログなんかもですけど、大体インターネットに結びつくわけです。
というか今回のテーマ的にそういうことにさせて…
ふとしたときにグーグル検索で調べものをしたり、見たい動画を見たりと好きな時に好きな情報にアクセス出来るんですよ。
しかもテレビや新聞では報じないアングラな情報も転がってて、物事の表裏両方が見えてくるし、そういった情報を共有して意見を貰うことで更に見識が広がる、正しい情報をすぐに拡散できる!
インターネット最高じゃねーか!!
・・・
本当に?
まあ、今回はそういう話です。
目次
人は見たいように見、聞きたいように聞き・・・
このセリフ、知ってますか?
リーガルハイというドラマの中で主人公の古美門が相手検事に対し放ったカッコイイ長セリフの一部なんですけど…(リーガルハイ見てみて)
「人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる」
主人公が弁護する被告人に死刑を求める世論が形成され、その民意に流されてかどうかは不明だけど、被告の罪状(殺人)を後押しするような目撃証言が不自然な程集まっていたことに対し、疑問を呈したときのセリフの一部です。
数々の男を寝取っていた被疑者。
「証拠も証言も関係ない、高級外車を乗り回しブランド服に身を包み、フカヒレやフォアグラを食べていたのだから死刑にしましょう。」
決して清廉潔白とは言えず人から後ろ指を指されるような事しながら贅沢をしていた被疑者、でも殺人の証拠についてはあやふや。
だけど、こいつは今まで悪いことをしてきたのだからきっと人も殺しているに違いない。
こんな悪いやつが殺人現場の近くにいたんだから犯人に違いない。
こういう思い込みによる偏った目撃証言である可能性が高いっていう古美門の指摘です。
リーガルハイを持ち出して長々語った理由は、人間にはそういう特性があるって事を言いたかったからです。
この特性は、確証バイアスと呼ばれています。
確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学や社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。
まあ結局、
人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる
って事です。
付け加えて、反対の情報は集めない、無視しようとするという傾向もあるみたいですね。
何故、この話をこんなに長々綴ったって言うと、このバイアスがインターネットの特性に結びつきやすいからです。
いいねとかフォローとか
Twitterを使っていて、いいねとかフォローとかする時ってあるじゃないですか?(僕はTwitterやってないけど)
その行動ってどういう判断基準で決めていますか?
自分の好きな芸能人やアーティスト、そのファンの人たち、ゲームとかで繋がった人たち、自分と似たような考えや意見を持っている人間・・・
こういったものに対し、いいねとかフォローとかを普通すると思うんです。(例外もあるんか?)
要するに、自分が好ましいと思ったらってことですね。
ここで確証バイアスって言葉にピンと来た人もいると思います。
そして、自分にとって好ましい人達でフォロー、フォロワーが形成されていき、自分が何か発信した時にその人達からいいねや賛同のリプが多く飛んで来ると思われます。(フォロワーが集まらないとかは知らん)
逆に、自分のフォロワーが何かを発信していたら、大抵自分にとって好ましい物と思うので、好感を示すアクションを取ると思います。
こうして似たような考えの人間の集まりの中で意見を言うと、似たようなあるいは好ましい意見が帰ってくるようになるわけです。
これをエコーチェンバー現象と言います。
エコーチェンバー現象(エコーチェンバーげんしょう/反響室現象、英: echo chamber)とは、自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場(電子掲示板やSNSなど)にて、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、又は価値観の似た者同士で交流・共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅する現象。閉鎖空間で似た者同士で意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってきて増幅していく状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象から例えたものである
好ましい意見、人間を集めてしまう確証バイアスによって閉じたコミュニティが形成され、その中では更に確証バイアスが助長されるということですね。
そうなってしまうと、見たいものをだけを見る快楽の中毒になってしまい、見たくないものに対して過剰な排外行動をとってしまうわけです。
この状態では理性が働くわけが無いので、リテラシーに欠けた行動を取ってしまいます。
あなたへのオススメ
このタイトルで、すでに確証バイアスが頭に浮かんだ人もいると思います。
YouTubeとか見てると、あなたへのオススメとか言ってお節介に動画を押し売りされません?
これは分かりやすい例ですけど、要するにこちらの検索履歴、閲覧履歴から好きそうなものをインターネット側が分析た上で押し売りをしてくるわけです。
インターネットはこちらの足元を見ながら偉そうにものを勧めてくる、セールスとか勧誘おばさんってことですね!
その結果、欲しい情報ばかりが供給され、好ましくない情報は排除されていくわけです。
これをフィルターバブルと言います。
フィルターバブル (filter bubble) とは、「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。
ただでさえ人間は確証バイアスがあるのに、これではバイアスが助長されるだけです。
その情報の一部が間違っていたり、または重大な部分が隠されていてもそこに気付けなくなり、自分の仮説や認識にのみ基づく偏った情報達によって早まった一般化をしてしまうわけです。
それはあくまで自分の中だけの常識なので、世間一般とのズレが生じてしまいます。陰謀論とか・・・
正義感が研ぎ澄まされる
ここまでの話で、人間には確証バイアス存在し、エコーチェンバーやフィルターバブルと相互作用を引き起こすことがわかると思います。
このブログだって偏った情報と解釈から成り立っていて、ここにたどり着いた人間は元々知ってるかあるいはこういった知識を求めている人間が大半になると思います。
それだけ情報とその解釈はバイアスに影響されているわけです。
しかしそれを認識せずに、得た情報を鵜呑みにしていると自分の認識が絶対的な正義で、それとは違う意見は全て悪だという極端な思考に陥ってしまいます。
要は、自分の正義感が研ぎ澄まされ先鋭化してしまうわけです。
行き過ぎた正義感は同時に全能感をも芽生えさせ、正義の名のもとの行動は全て正当化されると思い込み、やがて私刑へと人を走らせてしまいます。
「お前が悪い、俺が正義。だから俺がお前に対して罰を与えるのは正しい」
しかし、世の中は画一的な正義で足りるほど単純ではありません。
見方や立場、タイミングなどによって全く別の考えが正しいとされることたってありますし、そもそも自分が間違ってるなんて場合も普通にあります。
それを認識すれば、1つの考えのみを絶対的な正義にするのがどれだけ愚かしい事かわかると思います。
しかし、思い込みとネット環境の相互作用によって、特にリテラシーの低い人が過激派へと変貌を遂げてしまうのです。
情報収集は楽しいだけじゃないのは当たり前
好みの情報を集めるのは楽しいです。
好まない情報を集めるのは不快です。
でも、正しく情報を認識するためには、両方の情報が必要になってきます。
正しく物事を認識したいなら好まない情報も集めて相対的に分析をする必要があります。
しかし、人間には自分の認識に矛盾を生むものに対して不快感を感じる特性があります。
これを、認知的不協和と言います。
認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。(中略)
人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
自分が正しいと思っているものを否定する説が出てきた時、みんなはどういう行動を取りますか?
自分の認識を改める?
それとも、その説の粗探しをして否定する?
それとも、その説の提唱者の人格を否定することで、信憑性が損なわれたかのように思い込む?
認知的不協和が起こったとき、人はそれを解消するためにアクションを起こします。
そして正義感が研ぎ澄まされている人ほど、自分の仮説や信念が誤っていると分かったとしても、それを認めず他者を攻撃してしまうこともあります。
だからこそ、過信と鵜呑みは禁物に。
普段から見たくない情報にも触れて、広く多角的な視野を養う必要があります。
バイアスからは逃げられない
結局今回もこういうオチです。
どんなに人間の特性を理解し戒めても、人間は理屈のみでは生きられません。
それでも知っておくことが重要で、ふとしたときに軌道修正を図れる可能性があります。
また、その場ですぐその情報の真偽に結論を出そうとするのも良くないです。
情報は情報として仕入れ、その真偽は時間をかけて確かめるしかありませんし、そもそも真実なんて普通は分かりません。
あくまで、そういう情報の存在を認識することが重要で、正しいだの間違ってるだのを早々に解釈するのは誤りとなります。
なので、
確証バイアス・エコーチェンバー・フィルターバブル・認知的不協和
こういった存在を認識することが大事となってくるわけです。
そしてこれらの情報も裏付けが曖昧なものもあるので、過信は禁物です。
ただ、少なくとも思い当たる節がある話だったとは思うので、認識して気をつけるしかありません。
しかし人間である以上、こういうバイアス逃れる事は出来ません。
人間は完璧ではないし、これから先も完成されることはありません。
なので、バイアスを悪としそれらを執拗に責める事はあってはならないと思います。
結局それも、自分自身はバイアスに陥ってないと思っているからであり、正義感が研ぎ澄まさてる状態と何ら変わらないことになってしまいますから・・・
という訳で長々ととっちらかった文をつらつら書いてみたわけですけど、昨今の炎上騒動とか見てて色々思うことがあったわけです。
そんな感情のはけ口として今回こんな話をしてみました。
僕の愚痴に付き合わせてしまい、ごめんなさいでした。
それでは、お疲れ様でした!