てきとうに駄弁る

ふと興味が湧いたことを深堀する

真実とは何か?改めて考えてみた

 

今回は”真実”についてお話をします。

こう書くと胡散臭くなるのは何でなんでしょうね…

 

「”真実”はいつも一つ」

でお馴染みの探偵漫画では、毎度主人公が事件(主に殺人)の真実を明るみにし解決に導いています。

 

真実を明るみにする=解決

 

何か事件が起きたときにそれを解決へと導くのは、真実を明らかにすることであり、世の中基本的に真実を基に物事が動いています。

又は、動いていると僕らは思い込んでいるわけです。

 

じゃあそもそも、真実って何なんですか?

”事実”って言葉と何が違うんですか?

 

”真実”って当たり前に使っている言葉だけど、よく考えると理解が曖昧だったりします。

 

そんな真実について語って行きたいと思うので、最後まで、どうか最後まで目を凝らして読んでくださいお願いします

 

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葉梨康弘氏の失言について追記

少し前に投降したこの記事

kifuyuma.hatenablog.com

これについて情報不足があったため追記致します。

 

 

内容としては、葉梨氏の失言の全体の発言について、ご本人から説明があったためその全文を掲載します。

youtu.be

 

法務大臣を務めている衆議院議員葉梨康弘です。私の宏池会の同士でもある武井さんの励ます会、未来をすくう会ですか、是非激励の言葉をということで喜んで参上させていただきました。法務大臣になり三月になりますが、だいたい法務大臣というのは朝死刑のハンコを押しまして、それで昼のニュースになるというのは、そういう時なだけという地味な役職なんですが今回はなぜか旧統一教会の問題に抱きつかれてしまいまして、まぁただ抱きつかれたというよりは一生懸命その問題の解決に取り組まないといけないということで、まぁ私の顔もいくらかテレビに出るようになったということでございます。さて、武井さんの話だが…先ほど来いろんな方から話があるが、コロナ禍になる前は宏池会の中でもいろいろ飲み会とかやっていました。非常に明るいお酒を飲む、声もデカいが歌う声もデカい。ヒノノニトンとかたくさん歌って非常に明るいなぁという印象があります。もう一つは情熱。地元に対する情熱と、それから国政なんとかしていかなければいけない、そういう危機感があります。そもそもたぶん、外務政務官、外務副大臣というのも希望してなったと思うが、私共の法務省と外務省というのは似たような所があります。いくつかありますが、3つくらい申し上げたい。一つは今回のロシアとウクライナの関係で当然外務省が前面に出ていろいろな仕事をしていただいています。これは当然の、ただ法務省はその下支えのような形でございますけれどもウクライナの難民を受け入れているというのが法務省。それからロシアの国際犯罪について、いろいろな国際的な連携を図るというのも法務省です。今度11月28日29日には法務大臣の会合としては初めて、G7の法務大臣会議がベルリンで開かれるということです。一つはロシアのウクライナ問題への対応ということでも共通点があります。もう一つは、国の根幹を為すという意味では非常に大事なことだと思います。外交、それから私共法務省憲法を具現化する、理念を具現化する、そういう行政です。ちょっと難しくなりますが、そんなことをやっている。なかなかそういった意味でも国の屋台骨を支えるという意味では外務省と法務省は似た様な所があって、それをしっかり希望をされて外務副大臣になられたということはやっぱり国士だなということを感じるわけです。そして、三つ目の共通点ですが、外務省と法務省、票とお金に縁が無い、外務副大臣になっても全然お金が儲からない、法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らないとなっておりますと、しっかりと良い仕事を武井さんにしてもらうためには、今日お集りの方々が物心両面で支えていただかないと、私も支えていただきたい、というのが本音ですが、なかなかこの日本の国をよくするということはできない、そういうことだと思います。ですから今日お集りの方々、本当に皆さんが支えだ、この武井俊輔というナイスガイをしっかりと支えていただくよう心からお願いを申し上げ、私からの挨拶とさせていただきたいと思います。本日はありがとうございました。

 

赤文字の部分が時事ドットコムで取り上げられていた発言部分となります。

 

情報不足のまま投稿してしまい、申し訳ありませんでした。

 

これを見る限り、やっぱり法相という仕事や死刑を軽く見ているとは思えません。

メディアによる偏向や切り取りがあった可能性が高くなったといえます。

 

ただし、この弁明もあくまで葉梨氏本人が言っているだけで、録音など明確な証拠かある訳ではありません。

嘘をついている可能性だって現段階では否定できません。

 

なので、過信も鵜呑みもせず冷静に状況を見極める必要があります。

早々に結論は出さず、感情的にならず、淡々と事実を集めることを心掛けていきましょう。

葉梨康弘氏の「死刑のはんこ押すだけの地味な役職」発言について

ここ最近、葉梨康弘法務大臣(更迭されたので元って付けた)の

「死刑のはんこ押すだけの地味な役職」

この発言が問題になったそうですね。

 

その結果、本人は更迭、更に岸田政権への批判が相次いでいるそうです。

 

全く許せないですよね!人の命や法相の仕事を軽く見すぎですよ!

こんな倫理観のない人が法相やってるなんて信じられない。

更迭は当たり前として、法務省自体の体制、しいては自民党や岸田政権そのものの体制を見直すべきだと思いますよ。

 

 

・・・

まあ、この件が切り取りとか偏向とかそういう風に情報操作されていなければ、の話ですけどね。

 

そういう訳で、あれこれ考えてみたいと思います。

 

けどその前に注意事項。

・ここで語った事が事実でもなければ、情報不足の可能性があります。

・個人的な感想が多分に含まれており、それらはバイアスに影響されているので、公平な内容にもなっていません。

・つまるところ、過信と鵜呑みは禁物に

 

 

目次

 

 

 

単純な疑問点

 

この失言があったのは、2022/11/9(水)東京都内のホテルで開かれた自民党衆院議員の会合中らしいですね。

 

そして、それについて報じた一番古い(と思われる)記事がこれです。

 

www.jiji.com

 

僕が調べた限りでは、これでした。

もっと古いの知ってる人いたら教えて・・・

 

恐らくこれが第一報となるんだと思うんですけど・・・

 

記事になるの早くね!?

 

会合があったのは9日の夜、この記事の日付と時間見てみると、同日の21時29分

 

いくら失言があったからってこんなにすぐに記事になるものなの?(知ってる人教えて・・・)

 

後、記事を読んで貰えればわかると思いますけど、発言内容は

「死刑のはんこを押し、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職」

だけど記事によっては

「死刑のはんこ押すだけの役職」

「死刑のはんこ押すだけの地味な役職」

と一部発言が捻じ曲げられてるニュース記事も見かけました。

 

これとか・・・

「死刑ハンコ押す地味な役職」葉梨法務大臣 自民党内からも「不愉快な思い」news.tv-asahi.co.jp

記事の全文読めば、捻じ曲げられてない発言の内容が載っていますが、タイトルには悪意を感じます。

 

まあ実際どの発言が正しいかわからないですけど・・・

ちなみにこのブログのタイトルでもあえて改変された発言の方を採用しています。

なんというか、偏向する気満々じゃね

 

後、そもそもなんですけど、自民党のパーティってどんなものなんですか?

記者とか多数招かれているパーティって事でいいんですよね?

内輪の発言が勝手にリークされたって事じゃないんですよね?

(分からないからマジでこの辺教えて・・・)

 

まあ、そんなこんなで僕の無知を晒したところで、色々と思ったことを言っていこうと思います。

 

 

発言の全容は?

 

まずこの発言の前後ってどうなってるの?っていうのが気になります。

会合内のどういう場面で誰に向かって発した発言なのか、どう考えてもあれ単品の言葉じゃなくて前後に何かしら言ってたと思うんですけど、どういう流れから発した言葉だったのか?って言うのが気になります。

 

森会長辞任の時もそうでしたけど、発言の前後を明かさないまま、切り取られた発言が元になって炎上、辞任に追い込まれたケースもあるので、そこが物凄く気になります。

 

2022/11/13 追記。

発言の全容が本人の口から語られていた事に後から気づいた為、新しく記事を追加しました。

kifuyuma.hatenablog.com

 

 

 

騒ぐことなのか?

 

まあ、死刑ってものに対して意識が低いのは否めないんですけどね・・・

人権とかを国家で保証している以上、その辺はデリケートな問題になってくるので、軽はずみな発言は控えるべきだと思います。

 

ただ、発言した場って国会とか記者発表会見とかじゃなくてあくまでパーティ内ってことと、死刑に対して意識が低いというより、死刑の時にしか関心が向かない世論に対して皮肉を言ったようにも取れるんですよね。

 

あくまで今出てる情報での中の話になりますけど、これってここまで騒ぐことなんですか?

少なくとも、更迭するほどのことなのですか?

 

明らかな差別発言やヘイト発言じゃなくないですか?

僕には、法相ってものに対する世間の関心について苦言を呈した程度にしか思えないんですけど。

 

 

そもそも、世間は本当に騒いでいるの?

 

SNSとかには、こんな事で騒ぐ必要なくない?

みたいな投稿も結構見られるんですけど、みんな本当にこれで騒いでいるの?

 

メディア側と一部の人間が騒いでいる事にしたい様にしか思えない部分もありますね。

 

 

結局何が言いたいのか

 

結局、過信と鵜呑みは禁物ってことです。

 

今出回ってる情報だけで、何かを断定したり感情的になるのは、扇動する側の思う壺になっている可能性があります。

 

その結果、本質から逸れた結果になったら目も当てられません。

 

僕は今回の発言が問題か問題じゃないか、今の段階で結論を出すつもりはありません。

 

現時点での事実はなにか?

それに対して、不透明な部分は何か?

 

これらを洗い出し、冷静に様子を見守る必要があります。

 

とにかく、冷静さを失わず感情的にならないように、これらを心がけてメディアの思い通りにならないよう気をつけましょう。

 

以上

 

結局、陰謀論ってなんなの?

 

皆さんこんにちは。

突然ですけど、陰謀論ってなんですか?

という質問に対し、コレだ!と答えられる人っていますか?

 

怪しい風聞?根拠がない?悪の組織が関与している?

 

確かにこれらの特徴があるように思えますけど、揺るがない定義とするには少々曖昧な気がします。

だけど、テレビやネットでは皆当たり前のように陰謀論という存在を問題とし、議論()を展開しています。

皆、各々の基準を元に陰謀論かどうかを無意識的に判断しているのだと思います。

その結果、議論に必要な共通認識にズレが生じ、建設的な話し合いになっていないような光景は見たことある人も多いのでは無いでしょうか?

ということで今回は、陰謀論のそもそもを考えてみたいと思うので、どうか最後まで読んでいけ下さいお願いします。

 

 

目次

 

 

 

陰謀論とは

 

wikipedia陰謀論)より引用

陰謀論(いんぼうろん、英: conspiracy theory)とは、なんらかの有名な出来事や状況に関する説明で「邪悪で強力な集団(組織)による陰謀が関与している」と断定したり信じたりするものである

ja.wikipedia.org

 

いつもお世話になっておりますwiki先生!!

 

「なんらかの有名な出来事や状況に関する説明」

この部分から読み取るに、要するに仮説の1つに過ぎないと言っているように思えます。

陰謀が関与する仮説を論じるから、陰謀論

じゃあそもそも陰謀っていうのはなんなのか?

 

wikipedia(陰謀)より引用

陰謀(いんぼう、英:plotあるいはconspiracy)とは、人に知られないように練る計画のこと。

ja.wikipedia.org

 

引用のまんまですね。

ただし続きを見てみると。

 

この表現には何らかの価値判断("悪い"という判断)が含まれている。

 

バレない様に陰でコソコソ悪巧みをする事って言うのが陰謀のニュアンスになってくると思います。

つまり陰謀論とは、

「裏でコソコソ悪巧みをしている、という仮説を論じているもの」

となるわけです。

付け加えると、邪悪な集団や組織が関与している、と考えてる感じになるんだと思いますね。

 

終わり!閉廷!以上! 皆解散!

 

ってなるか。

陰謀論って言葉に含まれるニュアンスには、「聞くに値しないもの」というマイナスな要素があると思います。

しかし、言葉通りに定義したところでマイナスな要素が含まれるようには思えません。

恐らくそれは、世に出回ってる陰謀論陰謀論者に何かしら問題点があり、皆が悪い印象を持っているからっていうことになると思います。

 

wikipedia陰謀論)の続きより

「断定したり信じたりするものである」

 

とあります。

多分この辺が、陰謀論の問題点そのものになってくる気がするので、実例を見ながら考えていきたいと思います。

 

 

陰謀論の実例と問題点

 

新型コロナワクチンは人類を選別するために作られた。

このワクチンは従来の生ワクチンと違い、遺伝子組み換え形ワクチンと呼ばれるもので、この形式のワクチンは臨床試験のデータが不足している。

そして過去に、別の感染症に対する遺伝子組み換え形ワクチンを実験用マウスに投与したところ、殆ど(約90%)が死滅した。

マウスは人間の構造に近いのでこの試験結果は信用に値する。

このことから、コロナワクチンを打つと人は2年以内に約90%の確率で死亡すると言える。

人間における治験が少ないのは、この事実を公表出来ないからである。

しかし、何故かここにきてコロナワクチンを推進するWHOや日本政府。

ここから考えるに世界の90%の富を握る一部の資本家の陰謀が関与している思われる。

具体的には、今なお増え続ける世界の総人口に対し、危機感を抱いた資本家達が人類を削減かつ、優生論に基づいた選別を行おうとしてる、というものだ。

これは、新世界秩序(ニューワールドオーダー)であり、日本政府はそれらの勢力に与する。

コロナワクチンを推進する日本政府の行動からもそれは明らかだ。

すでに布石は打たれていたのである。

 

まあこんな話を聞いことある人もいると思います。

この話は、マルチ商法にハマってしまった僕の友達のN君が、セミナーで聞いた話をそのまま僕に話してきた時の内容です。勿論、反ワクチンを掲げてました。

 

さて、この仮説の問題点を洗い出していきましょう。

 

 

早まった一般化

 

wikipedia(早まった一般化)より引用

早まった一般化(はやまったいっぱんか、Hasty generalization)とは、形式的な誤謬または詭弁の一つ。以下のような論証形式の推論をいう。類推の危険とも。

AはXである。

BもXである。

CもXである。

DもXである。

したがって、いかなる場合もXである。

この形式は論理的に妥当でない。少ない例から一般的な結論を導こうとしており、これが早まった一般化となる。つまり、Xを満たすものが存在するという一部の個別の事実から全体を判断していて、それ以外のEからZまでの中に、Xでないものが存在する可能性が全く考慮に入れられていないため、誤りになる。

ja.wikipedia.org

 

要は、少ない事例や思い込みにより仮説を一般論としてしまうことを言います。

さっきの話で言うと

 

「コロナワクチンは、遺伝子組み換え型ワクチン」

「別の感染症に対する遺伝子組み換え型ワクチンを実験用マウスに投与したところ、殆ど(約90%)が死滅した」

「マウスは人間の構造に近い」

 

これらの情報から、

 

「コロナワクチンを打つと人は2年以内に約90%の確率で死亡する。」

 

という結論を帰納法演繹法を応用し類推していたわけで、この思考の過程そのものは間違ってはいないと思います。

 

だけどこれには、

・遺伝子組み換え型ワクチン全て、投与して2年で死亡するの?

・マウスの寿命は2年〜3年、長くても4年

という穴があり、結論は誤りとなります。

 

ここで大事になってくるのは事実関係で 

「コロナワクチンは、遺伝子組み換え型ワクチン」

「マウスは人間の構造に近い」

この2つは一般的に正しいですが、

「別の感染症に対する遺伝子組み換え型ワクチンを実験用マウスに投与したところ、殆ど(約90%)が死滅した」

この事実の裏付けがガバガバだったので、結論が成り立たなくなったわけです。

仮説を検証せず、一般論として扱いそれを元に論理展開していくのは誤りとなります。

 

他にも、

「世界の90%の富を握る一部の資本家の陰謀が関与している」

というのも根拠薄弱な憶測であり、これを是として話を展開するのも間違いです。

 

要は、根拠のない仮説に論者にとって気持ちいい仮説や解釈を重ねていくという都合のいい論理となってしまうのは正しくないのです。

あくまで、仮説として論じているなら問題ありませんが、断定するような物言いの場合は怪しいと判断せざるおえません。

 

 

論理の飛躍

 

次に問題なのは、論理が一足飛びとなっており前後の相関性が損なわれていることです。

AならばB、BならばCのように推移性が成り立っていて初めてCならばAとも言えるわけで、AならばZのように推移性が損なわれているものは、論理的な誤りとなります。

 

さっきの陰謀論でいうと、

「ここにきてコロナワクチンを推進するWHOや日本政府」

という事実から、

「ここから考えるに世界の90%の富を握る一部の資本家の陰謀が関与している思われる。」

と意味不明なくらい話が飛躍しちゃってます。

だけど陰謀論を信奉する人にとっては、陰謀という結論ありきなため、推移性が損なわれていることには注目せず、「一部の資本家の陰謀が関与」という餌に飛びついちゃうわけです。

 

 

循環論法

 

wikipedia(循環論法)より引用

循環論法(じゅんかんろんぽう、circular reasoning, circular logic, vicious circle)とは、

 

・ある命題の証明において、その命題を仮定した議論を用いること。証明すべき結論を前提として用いる論法

・ある用語の定義を与える表現の中にその用語自体が本質的に登場していること

ja.wikipedia.org

 

要はAならばB、BならばAのように、一周回って結論と根拠が同じところに戻ってきてしまう論理のことを言います。

wikiより拝借

さっきの陰謀論の中では、

 

「コロナワクチンを推進する日本政府」

       ↓なぜ?

「日本政府も陰謀に組み込まれている」

       ↓その根拠は?

「日本政府がコロナワクチンを推進している」

 

このような堂々巡りが繰り広げられていたわけです。

結局何の説明にもなっていませんが、陰謀論を信奉する人は結論ありきなのでこの論理破綻に気づくことができないのです。

 

 

陰謀論の特徴

 

さて、ここまでは僕の友達がはまったマルチの教祖様が唱えてる陰謀論に対しツッコミを入れてきたわけですけど、このことから世に出回ってている陰謀論の特徴を見ていきたいと思います。

 

wikipedia陰謀論)より更に引用

・科学者や歴史家 など、その正確性を評価する資格のある人々の間で主流の意見に必ず反対している

・非現実的に陰謀が成功することが示唆される

・ほぼ完璧に近い能力と秘密主義に基づいて行動することが可能であるとされる

・善と悪が戦っている白黒の世界が想定されている

 

善良で弱者な市民が、巨悪や陰謀に立ち向かうような、勧善懲悪の創作紛いの妄想、陰謀論に根付く思想はこんなところだと思います。

 

科学者や歴史家などの有識者も陰謀側の人間(強者)とみなすので、その人達の主張とは反する説を唱えるのです。

 

普通に考えれば、陰謀側の人間も完璧でもなければ一枚岩でもないし、陰謀が上手くいく前提なのもおかしいし、善と悪なんて単純に二分できるものでもありません。

 

ただこれは、wikiの解説の続きを読むと分かると思いますが

 

wikipedia陰謀論)より更に引用

陰謀論反証に抵抗し、循環論法によって強化される。つまり、陰謀と矛盾する証拠があったり、陰謀の証拠自体が存在しない場合であっても、どちらも陰謀が存在する証拠として再解釈されてしまうため、結果として陰謀論は証明されたり反証されたりするものではなく、信仰するものとなってしまう

 

つまり、どうあっても陰謀を唱えることに執着するので論理は二の次となってしまうのです。

 

「反証に抵抗し、循環論法によって強化」

これは、どういうことかというと

「提示された反証は捏造に決まっている。むしろ、都合よく反証があること自体が陰謀を裏付けているではないか」

となってしまうのです。

新しい反証が現れるたびに、多数が隠蔽工作に加担していると主張しそれらを退けていくのです。

陰謀に対する証拠がないことや、反証の存在は陰謀論にとって都合の良いように再解釈される、この認識論的戦略をカスケード・ロジックといいます。"認知的不協和"を究極的に拗らせてる一例となります。

なので、陰謀論はよく信仰と言われるのです。

宗教などを悪く言うつもりはありませんが、信仰とは無条件の肯定、詰まる所鵜呑みだと思っています。

 

 

陰謀論にはまる訳

 

そもそも、なぜこんな穴だらけの仮説を信奉し、先鋭化してしまうのか考えてみたいと思います。

 

wikipedia陰謀論)よりまたまた引用

  • 第一に、制度分析では説明できないことを説明可能であると陰謀論は主張する。その陰謀論は、混乱している世界の真の意味を理解しているように見える。
  • 第二に、陰謀論は光と闇の勢力で世界を二分するという単純で魅力的な方法を採用する。彼らはすべての悪を一つの源にまで遡る。すなわち、陰謀の首謀者とその工作員である。
  • 第三に、陰謀論は特別な秘密の知識として提示されることが多いため、他者には知られていなかったり、認められていないことがある。そのため「大衆は洗脳された群れであるが、自分のような『知恵ある者』は謀略家の欺瞞を見抜いている」として悦に入ることができる。

 

つまり、

  • 自分の頭では理解できない複雑な事象を単純に説明してくれる
  • 世の不条理や不幸は全て陰謀が悪いと言ってくれる
  • 他者に対し知識でマウントを取れる

こうなります。

 

確かにこれは都合がいい。

悪に対し義憤を覚える正義の自分に酔って行動する、こともできるようになるわけです。

これだけ都合のいい話、信仰したくなるのも無理はないですね。

まさに、信じる者は救われるってことです。

 

その証拠に矛盾する二つの陰謀があったとき、陰謀論者はどちらの陰謀も信じてしまうらしいです。

 

また、この記事で詳しく話しましたが、

 確証バイアスとネット環境の作用によって現代はより陰謀論の蔓延と強化がされやすくなっています。

そして、複数の集団が生まれ陰謀論によって分極化が進んでいくわけです。

分極化された各集団内では、さらに仮説の強化がなされていき、思想も過激派に染まっていき、やがてテロ等の事件を起こす場合もあるのです。(リスキーシフト)

 

 

 結局、何をもって陰謀論とするのか?

 

ここまで陰謀論についてあれこれ見てきたわけですけど、結局陰謀論はどうやって見分けたらいいのでしょうか?

陰謀論とされていないものでも、事実と仮説をごっちゃにした情報なんて数多く飛び交っているわけだし、北朝鮮拉致問題のように過去に陰謀論が証明された例もあります。

 

結局のところ、ただの仮説と陰謀論を明確に分けるものは存在しないと言えます。

何事も過信と鵜呑みは禁物に。

与えられた情報において事実は何なのか?

それを是としたときの解釈は適切なのか?

情報の根拠はなんなのか?

これらを冷静に分析していく必要がある訳ですが、その場ですぐ出来ないのであれば安易に結論は出さず分からないものとして保留にするという発想も大事になってきます。

 

特に陰謀論を利用して人を扇動しようとする手合は、人間の不安という感情に付け込み、結論を急かしてくるような事が多いためより注意する必要があります。

 

 

陰謀論という言葉は強いレッテル

 

ぶっちゃけ、この記事で一番言いたい事はこれです。

ここまで陰謀論の悪いところを取り上げていたわけですが、ここまで解説しなくても皆なんとなく悪いものという印象を共通で持っていると思います。

 

だからこそ、レッテルとして強い効果を発揮します

最初の方でも言った通り、元々の陰謀論は仮説の一つでしかありません。

そこに、誰かが陰謀論だ!と言ってレッテルを貼ることで初めてその仮説は陰謀論と呼ばれるようになるわけです。

レッテルを貼られた瞬間からその説は、聞くに値しないほど論理破綻しているもの、もしくはデマと認識されるようになります。

逆に言えば、都合の悪い仮説に対し

「これは陰謀論だ!」

と言って潰すことも可能なわけです。

SNS上の議論()で、

「お前の話は陰謀論だから論ずるに値しない。デマを拡散するな。」

といって相手を攻撃している人間を見かけたことはありませんか?

 

陰謀論という言葉に惑わされて、印象のみで論じるのは危険だと思います。

陰謀論を頭から否定し話を聞かないのは、結局のところ陰謀論信者と思考は変わらないということです。

 

何事も過信と鵜呑みは禁物に。

 

陰謀論は、無条件に肯定的・否定的に捉えるのではなく、仮説の一つとして捉えるのが重要だと思います。

 

 

終わり

 

というわけで長々書いてみたわけですけども、相変わらず話がとっ散らかってて申し訳ないです。

一つのことを調べると芋ずる式に情報が出てくるので、結果まとまらなくなるんです・・・

世に出てる陰謀論だけど、僕個人としてはエンタメとしては大好きです。

 

なのであまりにも否定的な風潮になるのが悲しくて今回こんなテーマを扱いました。

まあ、何事もほどほどにってことで!

 

それでは、またね!!

論破にお悩みの方必見!!

こんにちは。

 

突然ですけど皆さん、議論でお困りになったことありませんか?

 

相手が正論過ぎて返す言葉がない…

自分の意見に対して相手が的確に切り返してくる…

こちら側が想定していない質問が飛んでくる…

 

困りますよねぇ〜

僕もずっと悩んでました。

そして議論の仕方について学びました。

その結果議論で勝てるように、少なくとも負けないようになりました!

 

そんな僕のノウハウを皆さんにお伝えしていこうと思うので是非最後までお付き合い下さい!

 

 

目次

 

 

 

まず議論とは

 

互いに、自己の意見を述べ、論じ合うこと。意見を戦わせること。また、その意見。

kotobank.jp

 

コトバンクさんのおっしゃる通り、議論とは戦いです。

なので、勝たなければなりません。

相手を完膚なきまで論破し、敗者のレッテルを貼り付け、SNSで吹聴し皆で敗者を嘲笑する、議論とはそういう風に消費されるコンテンツなのですから。

 

よって、手段なんて選んでいる場合ではありません。

詭弁を駆使し積極的に論点をずらしていく必要があります。

自分の有利な土俵の上で叩きのめし、勝利宣言を高らかにするのです。

論理的に正しいだけの議論なんて、見ている方は退屈ですからね…

 

そんなわけで、詭弁を紹介していきます。

 

 

論点のずらし方

 

「子供を道路で遊ばせるのは危険だ。」

 

ド正論ですね!

少なくとも僕は正しいと思います。

子供の安全を考えれば道路で遊ばせるなんて危険もいいところ、親が注意するべき事だと思います。

 

さて、この言い分を論破していきます。

 

「子供を道路で遊ばせるのは危険だというが、子供を外で遊ばせない教育が本当に正しいのだろうか?」

 

お気づきだと思いますが、論点なんて関係ありません。

「道路で」が「外で」遊ぶに勝手に解釈され、それを元に話を展開しています。

わざと解釈を歪めることで論点をずらし、反論出来るように言い分を作り変える訳です。

 

この手法は、ストローマン論法と言われるものです。

 

ストローマン(英: straw man)は、議論において、相手の主張を歪めて引用し、その歪められた主張に対して反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の主張そのものを指す[1]。ストローマン手法、藁人形論法、案山子論法(かかし論法)ともいう。

ja.wikipedia.org

 

しかし、これでは明らかに反論側がおかしいのがバレバレであり、逆に論破され返される恐れがあります。

 

なので小細工をいくつか重ねてみたいと思います。

 

 

間違った解釈を元に次々に論を展開!!

 

 

「子供を道路で遊ばせるのは危険だ。」

という主張に対しストローマン論法を駆使して

「子供を道路で遊ばせるのは危険だというが、子供を外で遊ばせない教育が本当に正しいのだろうか?」

とズレた返しをしてみたわけですが、これだけだと詭弁を看破される恐れがあります。

 

なので、こう返してみたら如何でしょうか?

「子供を道路で遊ばせるのは危険だというが、それを制限すれば子供の自由を制限することにもなりかねないだろうか?

子供は何をするか分からない為、色んな危険性が考えられるが、それが子供の良いところでもあり、そうした経験が豊かな心をも育てる。

危険を取り除こうというのは、間違ってはいないが、それが行き過ぎれば子供は一切外には出すなという極論にも繋がりかねない。

それは一種の虐待とも言えないだろうか?」

 

吐き気を催す程のズレた反論ですが、解説していきます。

 

まずはさっきと同じようにストローマン論法。

道路で遊ぶという明らかに危険な行為に対し、子供の自由を制限とか宣うわけです。

そして次に、それを元に滑り坂論法を展開!! 

 

「誤謬」の記事における「滑り坂論法」の解説

風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法で、何らかの事物の危険性を主張すること。ドミノ理論

www.weblio.jp

 

要するに、1つの事を皮切りに自体が悪い方向に傾いていくという主張なわけです。

 

「危険を取り除こうというのは、間違ってはいないが、それが行き過ぎれば子供は一切外には出すなという極論にも繋がりかねない。」

この部分はまさにそれで、冷静に考えてみれば子供を道路で遊ばせるな!って主張が、子供を外に出すな!なんてなるわけがありません。

 

しかし、物事が悪くなるという結論ありきで話を進めるわけです。

 

そして最後に、

「それは一種の虐待とも言えないだろうか?」

と締めくくる訳です。

虐待という強い言葉を使って相手の主張にレッテルを貼り、反論しづらいようにしてやれば良いのです。

 

これでもまだ何か言い返して来るようなら、

「過保護も行き過ぎれば虐待だ!あなたは毒親と思われてもいいのか!?」

と言い返してやりましょう。

自分の主張以外を認めない誤った二分法を用いるのがポイントです。

 

誤った二分法(あやまったにぶんほう、: false dichotomy)あるいは誤ったジレンマ(英: false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、実際には他にも選択肢があるのに、二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。

ja.wikipedia.org

 

そして最後に、相手自体に毒親というレッテルを貼り付け、それをSNSで吹聴して回り、相手が悪いという空気を作り上げましょう。

 

ここまでやれば、相手は戦意を失い後は敗走するのみです。

これにて論破完了!

高らかに勝利宣言をして、気持ちよくなる時です!

 

 

終わり

 

今回は第一弾ということで、本当に触りの部分だけやりましたが、これシリーズ化してもっと深堀する予定なので楽しみにしていただけると嬉しいです。

 

 

ちなみに分かってると思いますけど、真面目にこんな事言ってるわけじゃないですからね!

本当に真に受けないで下さいね!!

 

というわけで以上!バイバイ!

知りたいことを知るのにネットは最高

こんにちは。

改めてですけど、インターネットって滅茶苦茶便利ですよね!

というのも先日、スマホをぶっ壊してしまい4日間くらい外でネットを使えなくなりまして、スマホがない不便さとある便利さを再確認しました笑

これじゃスマホ便利だよねって話じゃねーか、って思われそうですけど、スマホの用途的には電話にメール、LINEとかTwitterみたいなSNSにソシャゲとか僕の場合はブログなんかもですけど、大体インターネットに結びつくわけです。

というか今回のテーマ的にそういうことにさせて…

 

ふとしたときにグーグル検索で調べものをしたり、見たい動画を見たりと好きな時に好きな情報にアクセス出来るんですよ。

しかもテレビや新聞では報じないアングラな情報も転がってて、物事の表裏両方が見えてくるし、そういった情報を共有して意見を貰うことで更に見識が広がる、正しい情報をすぐに拡散できる!

インターネット最高じゃねーか!!

 

・・・

 

本当に?

まあ、今回はそういう話です。

 

 

目次

 

 

 

人は見たいように見、聞きたいように聞き・・・

 

このセリフ、知ってますか?

リーガルハイというドラマの中で主人公の古美門が相手検事に対し放ったカッコイイ長セリフの一部なんですけど…(リーガルハイ見てみて)

 

「人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる」

 

主人公が弁護する被告人に死刑を求める世論が形成され、その民意に流されてかどうかは不明だけど、被告の罪状(殺人)を後押しするような目撃証言が不自然な程集まっていたことに対し、疑問を呈したときのセリフの一部です。

数々の男を寝取っていた被疑者。

「証拠も証言も関係ない、高級外車を乗り回しブランド服に身を包み、フカヒレやフォアグラを食べていたのだから死刑にしましょう。」

決して清廉潔白とは言えず人から後ろ指を指されるような事しながら贅沢をしていた被疑者、でも殺人の証拠についてはあやふや。

だけど、こいつは今まで悪いことをしてきたのだからきっと人も殺しているに違いない。

こんな悪いやつが殺人現場の近くにいたんだから犯人に違いない。

こういう思い込みによる偏った目撃証言である可能性が高いっていう古美門の指摘です。

リーガルハイを持ち出して長々語った理由は、人間にはそういう特性があるって事を言いたかったからです。

 

この特性は、確証バイアスと呼ばれています。

確証バイアス(かくしょうバイアス、英: confirmation bias)とは、認知心理学社会心理学における用語で、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のこと。

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まあ結局、

人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる

って事です。

付け加えて、反対の情報は集めない、無視しようとするという傾向もあるみたいですね。

何故、この話をこんなに長々綴ったって言うと、このバイアスがインターネットの特性に結びつきやすいからです。

 

 

いいねとかフォローとか

 

Twitterを使っていて、いいねとかフォローとかする時ってあるじゃないですか?(僕はTwitterやってないけど)

その行動ってどういう判断基準で決めていますか?

自分の好きな芸能人やアーティスト、そのファンの人たち、ゲームとかで繋がった人たち、自分と似たような考えや意見を持っている人間・・・

こういったものに対し、いいねとかフォローとかを普通すると思うんです。(例外もあるんか?)

要するに、自分が好ましいと思ったらってことですね。

ここで確証バイアスって言葉にピンと来た人もいると思います。

そして、自分にとって好ましい人達でフォロー、フォロワーが形成されていき、自分が何か発信した時にその人達からいいねや賛同のリプが多く飛んで来ると思われます。(フォロワーが集まらないとかは知らん)

逆に、自分のフォロワーが何かを発信していたら、大抵自分にとって好ましい物と思うので、好感を示すアクションを取ると思います。

こうして似たような考えの人間の集まりの中で意見を言うと、似たようなあるいは好ましい意見が帰ってくるようになるわけです。

 

これをエコーチェンバー現象と言います。

エコーチェンバー現象(エコーチェンバーげんしょう/反響室現象、英: echo chamber)とは、自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場(電子掲示板やSNSなど)にて、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする、又は価値観の似た者同士で交流・共感し合うことにより、特定の意見や思想が増幅する現象。閉鎖空間で似た者同士で意見をSNSで発信すると自分と似た意見が返ってきて増幅していく状況を、閉じた小部屋で音が反響する物理現象から例えたものである

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好ましい意見、人間を集めてしまう確証バイアスによって閉じたコミュニティが形成され、その中では更に確証バイアスが助長されるということですね。

そうなってしまうと、見たいものをだけを見る快楽の中毒になってしまい、見たくないものに対して過剰な排外行動をとってしまうわけです。

この状態では理性が働くわけが無いので、リテラシーに欠けた行動を取ってしまいます。

 

 

あなたへのオススメ

 

このタイトルで、すでに確証バイアスが頭に浮かんだ人もいると思います。

YouTubeとか見てると、あなたへのオススメとか言ってお節介に動画を押し売りされません?

これは分かりやすい例ですけど、要するにこちらの検索履歴、閲覧履歴から好きそうなものをインターネット側が分析た上で押し売りをしてくるわけです。

インターネットはこちらの足元を見ながら偉そうにものを勧めてくる、セールスとか勧誘おばさんってことですね!

その結果、欲しい情報ばかりが供給され、好ましくない情報は排除されていくわけです。

 

これをフィルターバブルと言います。

フィルターバブル (filter bubble) とは、「インターネットの検索サイトが提供するアルゴリズムが、各ユーザーが見たくないような情報を遮断する機能」(フィルター)のせいで、まるで「泡」(バブル)の中に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなること。

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ただでさえ人間は確証バイアスがあるのに、これではバイアスが助長されるだけです。

その情報の一部が間違っていたり、または重大な部分が隠されていてもそこに気付けなくなり、自分の仮説や認識にのみ基づく偏った情報達によって早まった一般化をしてしまうわけです。

それはあくまで自分の中だけの常識なので、世間一般とのズレが生じてしまいます。陰謀論とか・・・

 

 

正義感が研ぎ澄まされる

 

ここまでの話で、人間には確証バイアス存在し、エコーチェンバーやフィルターバブルと相互作用を引き起こすことがわかると思います。

このブログだって偏った情報と解釈から成り立っていて、ここにたどり着いた人間は元々知ってるかあるいはこういった知識を求めている人間が大半になると思います。

それだけ情報とその解釈はバイアスに影響されているわけです。

しかしそれを認識せずに、得た情報を鵜呑みにしていると自分の認識が絶対的な正義で、それとは違う意見は全て悪だという極端な思考に陥ってしまいます。

要は、自分の正義感が研ぎ澄まされ先鋭化してしまうわけです。

行き過ぎた正義感は同時に全能感をも芽生えさせ、正義の名のもとの行動は全て正当化されると思い込み、やがて私刑へと人を走らせてしまいます。

「お前が悪い、俺が正義。だから俺がお前に対して罰を与えるのは正しい」

しかし、世の中は画一的な正義で足りるほど単純ではありません。

見方や立場、タイミングなどによって全く別の考えが正しいとされることたってありますし、そもそも自分が間違ってるなんて場合も普通にあります。

それを認識すれば、1つの考えのみを絶対的な正義にするのがどれだけ愚かしい事かわかると思います。

しかし、思い込みとネット環境の相互作用によって、特にリテラシーの低い人が過激派へと変貌を遂げてしまうのです。

 

情報収集は楽しいだけじゃないのは当たり前

 

 

好みの情報を集めるのは楽しいです。

好まない情報を集めるのは不快です。

でも、正しく情報を認識するためには、両方の情報が必要になってきます。

正しく物事を認識したいなら好まない情報も集めて相対的に分析をする必要があります。

しかし、人間には自分の認識に矛盾を生むものに対して不快感を感じる特性があります。

 

これを、認知的不協和と言います。

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英: cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。(中略)

人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。

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自分が正しいと思っているものを否定する説が出てきた時、みんなはどういう行動を取りますか?

自分の認識を改める?

それとも、その説の粗探しをして否定する?

それとも、その説の提唱者の人格を否定することで、信憑性が損なわれたかのように思い込む?

認知的不協和が起こったとき、人はそれを解消するためにアクションを起こします。

そして正義感が研ぎ澄まされている人ほど、自分の仮説や信念が誤っていると分かったとしても、それを認めず他者を攻撃してしまうこともあります。

だからこそ、過信と鵜呑みは禁物に

普段から見たくない情報にも触れて、広く多角的な視野を養う必要があります。

 

バイアスからは逃げられない

 

 

結局今回もこういうオチです。

どんなに人間の特性を理解し戒めても、人間は理屈のみでは生きられません

それでも知っておくことが重要で、ふとしたときに軌道修正を図れる可能性があります。

また、その場ですぐその情報の真偽に結論を出そうとするのも良くないです。

情報は情報として仕入れ、その真偽は時間をかけて確かめるしかありませんし、そもそも真実なんて普通は分かりません

あくまで、そういう情報の存在を認識することが重要で、正しいだの間違ってるだのを早々に解釈するのは誤りとなります。

なので、

確証バイアスエコーチェンバー・フィルターバブル・認知的不協和

こういった存在を認識することが大事となってくるわけです。

そしてこれらの情報も裏付けが曖昧なものもあるので、過信は禁物です。

ただ、少なくとも思い当たる節がある話だったとは思うので、認識して気をつけるしかありません。

しかし人間である以上、こういうバイアス逃れる事は出来ません。

人間は完璧ではないし、これから先も完成されることはありません。

なので、バイアスを悪としそれらを執拗に責める事はあってはならないと思います。

結局それも、自分自身はバイアスに陥ってないと思っているからであり、正義感が研ぎ澄まさてる状態と何ら変わらないことになってしまいますから・・・

 

という訳で長々ととっちらかった文をつらつら書いてみたわけですけど、昨今の炎上騒動とか見てて色々思うことがあったわけです。

そんな感情のはけ口として今回こんな話をしてみました。

僕の愚痴に付き合わせてしまい、ごめんなさいでした。

 

それでは、お疲れ様でした!

そもそも僕らってリテラシーについてちゃんと理解してるのか?

どうも初めまして。

本題に入る前に聞きたいんですけど、ここ最近の社会情勢ってどう感じます?

ウクライナとか安倍さん銃撃とか統一とか・・・

 

まあ、なんとなく不安になるようなニュースが多いわけで、

そんな中でデマとか陰謀論とか炎上騒ぎとかなんか目につくなと感じることが多いです。

 

そういうの見て、こう思いません?

なんでこんなの信じて騒ぐんだろう?

モラルとかリテラシー大丈夫かよ・・・

 

そう、今回のテーマのリテラシーについて色々思うことがあるんですよ。

 

そもそもリテラシーって何?

なんでこれが度々問題になるの?

高いとか低いとか判断基準は何?

自分自身のリテラシーってどうなの?

 

こんな風に聞かれたら皆さんはどう答えますか?

 

僕ならたった一言こう答えます。

 

 

「分かりません、ごめんなさい」

 

 

というわけなんで、リテラシーについて考えていこうと思うんで、最後まで

頑張って読んで下さいお願いします。

 

目次

 

 

 

リテラシーって何?

 

リテラシーとは、原義では「読解記述力」を指し、転じて現代では「(何らかのカタチで表現されたものを)適切に理解解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味に使われるようになり、日本語の「識字率」と同じ意味で用いられている。

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ってことらしいですね。

元々の意味は読み書きの能力のことを指した言葉だったみたいです。(知らんかった)

それが転じて今は、物事を適切に理解・分析し活用する的な使われ方をしているって書いてありますね。

そして最後に、識字率」と同じ意味で用いられている。ってありますけど日本識字率は、なんと脅威の99%、超高水準な数値をたたき出しているわけです。

じゃあ僕らのリテラシーは全く問題ない!解散っ!

ってならないわけですよね。

多分ここまで読んでくれている人は何かしらリテラシーに関して問題意識を抱えているわけで、識字率云々って話じゃねーよって事だと思うんですよ。

まあ、そもそもwikiの続きを読んでもらえばわかると思うんですけど、リテラシーってかなり種類があって一筋縄じゃいかない言葉なんですよね 興味のある人は調べてみて)

その中でよく問題に上がるのって、ネットリテラシーとかメディアリテラシーとか情報とかに関するものだと思うんですよ。

冒頭で言った、デマとか陰謀論とか炎上とかまさに情報のインプットとアウトプット、どちらかあるいは両方かが適切じゃないわけで。

そんなわけで、いくつか思いついた事例をあげてあれこれ考えていきたいと思います。

 

 

情報に振り回された人たち

 

Twitter

【世界終了のお知らせ】米軍、対ロシア戦の参戦表明

なんてタイトルのまとめ記事が引用ツイートされていた。

タイトル的に普通に誇張されていそうだったのでソースを漁ってみたところ、この記事が元ネタだった

https://www.fnn.jp/articles/-/425426

要は、ロシアが核使ったら俺らは報復するからなっていうアメリカ側の牽制なのだが、明らかにタイトルが歪曲されている。

しかし、中身をよく見ずタイトルを鵜呑みにして感情的なリプをしてる人たちが多くいた。

 

これがまず事例その1です。

 

歪曲された記事タイトルを鵜呑みし脊髄反射的に拡散された結果炎上することなんてざらにあるし、発信側もそれを狙っている節もあるし、案外誰でも引っ掛かる可能性があると思いました。

 

それじゃ次

画像生成AIを利用したデマの拡散

 

これが事例その2です。

・・・

は?事例1に対して短すぎだろ。バランス感覚おかしいだろ!

ごもっともです、申し訳ございません。

実際これで炎上してた当事者がいるんで、あんまり事細かに言いにくいんですどうか許してください。

というわけで謝罪も済ましたところで、この事例についてですけども・・・

これ、どうやって見破るん??

僕は後から知ったので騙されるも何もなかったですけど、リアタイで追ってたなら普通に騙されていた自信があります。

それでもこれを信じて拡散してしまえば、デマの拡散に一役買ってしまうことになるわけですから、やっぱり情報ってシビアなんだなって思います。

 

 

嘘は嘘であると見抜ける人でないと・・・

顔思い浮かべると腹立つな・・・

 

某フランス人がネット黎明期に発した名言ですけど、具体的にどう見抜くんですか?って聞かれたら結構困りません?

そういう時に便利な言葉があります。

何事も過信と鵜呑みは禁物に

というかこのフレーズでどういうの見てるかバレますね(笑)

 

まず過信って部分ですけど、「絶対」って言葉をキーワードにすると分かりやすいと思います。

物事に絶対という感覚を持ってしまえば、それ以外が見えなくなりがちで、結果落とし穴に嵌るみたいな・・

絶対は無いという風に考えて、色んな可能性を疑う事が重要な気がします。

 

そして鵜呑みにつてですけど、こっちは思考停止って言葉をキーワードにすると分かりやすいです。

感情優先で深く考えない、または興味ないから深堀りせず満足する。

深く考えない、考えようともしないで言われたままに行動してしまえば、他人に都合よく操られるのがオチです。

考えたって意味がない←本当に?

考えるよりまず行動しろ←その先に罠はない?

どうでもいい←どうでもいいで済むの?

こんな風に疑う、より良くなる可能性を自らの力で掴み取ろうとする意志が嘘を見抜く為の第一歩になるんだと思います。

 

 

嘘を見抜けてるという思い込み

 

嘘を見抜く為の考え方に軽く触れましたが、何をどうやっても絶対的に嘘を見抜くなんてことは不可能です。

それこそさっきも言った、絶対は無いって事です。

まず、基本的に騙す側の方が優位に立っていることの方が多いからです。

プロパガンダ、なんて言葉を聞いたことある人は多いと思いますが、かなり体系化されていてかつ専門的に研究されている方もいるくらいです。

そういったものを駆使してくる人らと僕ら一般人、どう考えても分が悪いです。

プロパガンダは嘘を指す単語ではありませんが、人を扇動するために巧みに嘘も混ぜてくるので、結果的に騙されて挙句、他者を攻撃することにも繋がるわけです。

また、人一人が処理できる情報には限度があることも理解するべきです。

テレビや新聞、特にSNSからは膨大かつ複雑な情報を浴びせられるわけで、一つ一つを適切に理解し処理することは、人智を超えているとしか言いようがありません。

しかし、人は分からない状態を不快に感じ、分かった気になりたいものなので、安直に情報を処理をして結果的に選択を誤る事があるわけです。

ただこれらは理解しても中々避けることが難しいです。

なので、自分のリテラシーを過信せず、分からない事は分からないと受け入れることが大事になってきます。

 

 

理性って結構アテにならない

 

自分を過信せずとか、人の心理や特性を理解して〜

みたいな話をしてきたわけですけど、要は冷静に自分を俯瞰する事が重要になってくるわけです。

冷静に俯瞰、これをするためには感情的にならず理性的に物事を考える必要があるわけです。

けど、理性ってそこまでアテになりますか?

先でも取り上げたプロパガンダは、基本的に感情を揺さぶり、冷静な判断力を奪ってくる事をやってくるわけです。(反対に理性の働きを逆手に取る方法もあるらしいですけど、そっちは知らん)

情報をインプットしたとき、ほとんどの人間は感情に動きがあるものです。

特にセンセーショナルな内容なら尚の事、発信側は注目を集めるため意識的、または無意識的にも感情が動くようなものを発信してきます。

そういう状況で、理性を毎回ちゃんと働かせられる自信あります?(僕はないです)

究極的に言えば、自分を俯瞰するなんてそもそも不可能だと思っています。

自分を俯瞰出来ている、っていうのも結局思い込みなわけです。

ついでに言っておくと、感情そのものを悪いものだと思っているわけじゃないです。

人間である以上、感情が存在するのは当たり前で、それに振り回されることもまた人間の営みなのだと理解し、受け入れるほかないと思います。

 

 

結局どうすればいいんだよ!!

 

って声が聞こえてくる気がします・・・

そんなもん答えがあるならこっちが知りてーよ!!

・・・

結局、人間のリテラシーなんてそんなもんってオチですよ。

「お前がリテラシーないからって人間すべてに当てはめんなよ」

おっしゃる通りです。

ただ、あくまで僕の短い人生の経験上ですけど、「リテラシーは普通程度にはある」、「自分は騙され易いほうではない」、と思って自分自身に批判的な目を向けられないときは、大抵落とし穴にはまります。

過信ってものは鵜呑みを助長させ、考えることをそこで止めてしまいます。

なので、批判的思考というものを日ごろから意識し、物事を簡単に結論付けない、ということを実践してこうとするのがいいと思います。

もちろん、悲観的になれって事ではありませんし、粗ばっかり探せということでもないです。

粗を探して満足するのも結局は同じことなので・・・

 

 

というわけで、ここまでリテラシーってものとその向き合い方について偉そうに語ってきたわけですが、僕は専門家でもないし私見とか感想みたいなものもたくさん含まれています。(ここまで言っといてかよ・・・)

普通に間違っていることとか的外れなことも言ってると思います。

なので、過信も鵜呑みもせず批判的な視点で読んで頂けると幸いです。(予防線)

 

今回ブログを書くのは初めてだったんですけど、いやぁ~読みにくい!

しかも結構話が脱線してるし、そもそも初ブログのくせにテーマが重いんじゃい!

てかこれ内容的にリテラシーであってんの・・・?

まあよくわかんないですけどもこんな感じの話題を書いていこうと思うんで、懲りずに読んで頂ければ幸いです。

 

てことで以上!!解散っ!!

あざした!!!